Q:忍者って本当にいたの?
A:有名なのは伊賀流忍者と甲賀流忍者ですが、忍者は全国に存在しました。(日本全土に四十九流派もあったと言われています!)
甲賀と伊賀は、都が京都だったという事に加えて、戦国時代の政治と交通の要衝だったため、歴史上の物語に登場する場面も多く、その結果脚光を浴びるようになりました。 「忍者」は、簡単に言うと、仕える主君の命令を受けてスパイ・工作活動をしていた人達をいいます。 テレビや映画の忍者は黒づくめの格好ですが、いつもあんな格好をしていたら目立って仕方ありません。^^;
『普段は農業をしたり、行商をしたりして各地の情報を探る一方、指令が下ると戦場やその後方へ出向き、工作活動に励んだ。』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本当の忍者は決してその存在が目立たないように、時と場合に応じて様々な装束に変えていたようです。また甲賀流忍者は
『忍術の流派の中でも薬の扱いに長けており、その名残として甲賀には今も製薬会社が多い。』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とあるように、山伏姿で加持祈祷して御守札や、今で言う『置き薬』の行商を行いつつ、時としてその薬学知識を毒の調合にも用いて、触れることなく敵を倒すなど、忍びの工作にも役立てていたようです。「甲賀流忍者屋敷」は、薬の調合に使う道具など、当時の様子がうかがえる貴重な品を見ることが出来ます。また現在、この甲賀流忍術屋敷は近江製剤(株)という漢方薬のメーカーが経営しておられます。
ちなみに「忍者」という統一した呼び方は江戸時代まで存在せず、
「乱破(らっぱ)」「素破(すっぱ」「水破(すっぱ)」「出抜(すっぱ)」「突破(とっぱ)」「透破(とっぱ)」など、時代と地方によって呼び方が異なったようです。
Q:甲賀流忍術屋敷には誰が住んでいたの?
A:甲賀郡(いまの甲賀市)に住んでいた「甲賀武士」は、室町時代後期、近江佐々木六角氏と幕府との戦「鈎の陣」で、 山中におけるゲリラ戦で幕府軍を苦しめ、その高い戦闘力が全国に知られる事となりました。 この戦いに参加した五十三家の地侍を「甲賀五十三家」といい、「甲賀流忍者屋敷」は、その筆頭格だった「望月出雲守」という人物が実際に住んでいた屋敷です。全国に「忍者屋敷」と名のつく建物や施設は多くありますが、「甲賀流忍者屋敷」は忍者自身の住居として現存する日本で唯一の建物なんです。
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